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枝の主日    Dominica Palmarum



 「枝の主日」というのは、いにしえ主イエズス・キリストが威風堂々とエルサレムに入城された事を記念して、その日曜日のミサ聖祭の前に、信者達が手に手に祝別された棕櫚その他の枝を持ち、行列する所から起こった名前である。

 主が十字架に懸かり給う数日前、いよいよ聖都エルサレムに向かわせられる時の事であった。弟子達は仰せを受けて一匹の子ロバをひき来たり、その背にわが衣服を打ち掛けてすすめると、イエズスはザカリアの預言の如くその上にお乗りになり、聖都に赴き給うた。するとエルサレムの市民はわざわざ町からお迎えに出、自分の衣服や切った樹の枝を道に敷き、各自棕櫚の葉を持ち、老いも若きも声を合わせ「ダビデの子にホザンナ!主の聖名によりて来る者は祝せられ給えかし。いと高き所にホザンナ!」と叫びつつ、衷心より歓迎の意を表した。「イスラエルの王にホザンナ!」その声は九天にも響くばかり、主の敵なるユダヤ教の祭司やファリサイ人もこの時は如何ともすることが出来なかったのである。天の御父はその四、五日後同じ人民に「十字架につけよ!十字架につけよ!」と罵られ給うた御子に、しばしこの出来事によって光栄の喜びを味わわしめ給うたのであった。そして枝の主日に於いても、棕櫚の葉を手にした行列の喜びは、そのミサ聖祭中にたちまち主の御苦難の悲哀に打ち消されてしまうのである。

 その日の聖式は枝の祝別、行列、ミサ聖祭の三部に大別される。


一 枝の祝別

 棕櫚あるいは他の枝の祝別式は、確かな証拠によれば八、九世紀頃から始まった。その祝別式は全くミサと同様であるが、ただ聖変化式も御聖体拝領もない。そして聖変化式の代わりに枝が祝別され、御聖体拝領の代わりに信者達がそれを受け取るのである。枝は意味深い祈りと聖水と香とにより、一種の典礼的力を与えられて準秘蹟となり、霊魂を聖にし、肉身や住居を守る能力を備えるようになる。信者達は行列の時及び聖福音朗読の時にこの枝を手に持ち、帰宅の後は然るべき場所にしまっておくが宜しい。


二 枝の行列

 枝の行列は386年頃エルサレムに始まった習慣で、そこから東洋諸国の教会に広まった。西洋では636年より少し前に、セヴィリアの聖イシドロがこれを行った。枝の行列はまず歴史的事実イエズスのエルサレム入城を記念する。故に我等は御弟子達の代わりになって手に枝を持ち、柔和謙遜な主の御為に凱旋の用意をし、一同イエズスの御後に従い、その御苦しみの中までもお供をしよう。その際我等は聖主が共においでになると想像する為に行列の先頭に十字架を立てる。昔は主の木像を一頭のロバに乗せ、これを引いて廻ったものであった。行列は教会の門前で留まる。聖歌隊の人々が中に入ると門が閉じられる。司祭や信者達がその門の周囲に集まるや、聖歌隊が声を合わせて一つの讃美歌を歌う。信者達は折り返し繰り返す。その美しい聖歌は、オルレアンの司教テオヅルフの作で、王たるキリストを讃えるものである。聖歌が終わると副助祭が十字架の柄で三度戸を叩く。するとそれが開かれて、人々は教会の中に入るのである。
 この儀式は更に大きい行列の象徴と見る事が出来る。全人類は永遠の目的なる天国に向かって進む。しかし天国の門は原罪以来堅く閉ざされた。そこへイエズスがこの世に天降って十字架にかかり、その御死去に際し聖き十字架もて天国の扉を打ち叩き給うた。それに依ってその戸は開き人々は再び天国に入り得るようになった。かように枝の行列はまた天国への行列を意味するのである。但しこの意義深い行列は大抵聖職者が幾人もいる教会、即ち司教座聖堂や修道院付属聖堂でのみ行われるのが普通である。


三 ミサ聖祭 

 十字架の犠牲を、血を流さずに献げるミサ聖祭は実際感激的な行事といっていい。この受難劇の序言は三人の人が述べる。まず入祭文、詠誦、奉献文において、預言者ダビデ聖王、次に書簡において十字架の説教家聖パウロ、それから受難の物語をする聖マタイがこれである。詩人ダビデ王はキリストの御受難に就いて有名な救い主の詩編21を歌い、主の最も深刻な御苦しみ、天父よりも捨てられ給うた如き悲しみを言い表した。聖パウロは書簡(フィリピ書)において十字架にかかり給うた主の御姿を椽大の筆で描き出している。その主な一句「キリストは十字架上の死に至るまで従える者となり給えり。この故に神もまたこれを最上に挙げ給えり」という所はよくキリストの特徴を捉えているので、聖週間の最後の三日間繰り返して読まれることになっている。また福音史家のマタイは、イエズスの受難を記して、旧約の預言者が語った通りのイエズスの人間的な弱さや一切のものに捨てられたような感情までも、飾らず偽らず述べているのである。
 この御苦難の歴史を三人の司祭、または助祭に、悲痛な調子で歌わせる教会も多い。それが歌われるにせよ、ただ朗読されるにせよ、一同は手に聖き枝を持ち、主がその十字架を以て、来よと我等を招き給う場合も、欣然主を称える意気あるを示さねばならぬ。実際我等が十字架の下に苦しみつつも、へりくだって主に帰依し「ダビデの子にホザンナ!」と讃え奉る時ほど主の喜び給う事はない。イエズスは内より外より種々なる十字架を以て我等を教育し給い、天国に入れようとして下さる。そしてその光栄の御国に於いてこそ勝利と平和との棕櫚の葉は永遠に枯れる時なく、主は忠実なりし者に王として報い給うのである。